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霊とは何か

霊とはゼロであり、「りょう」とも呼びます。

ゼロの意味は「無い」ですが、
「りょう」の意味は「うらみ」、「うらみ」とは怨念です。

したがって無いはずなのに、 怨念となって残っているものを指します。

霊には様々なものがありますが、
本来はゼロつまり無いはずのものが、
うらみによって残ってしまったものが基で、 出来てしまったのです。

ではなぜうらみによって残ってしまったのか、 少しずつ説明します。

うらみとは自分がしてほしかったり、 こうしてもらいたいと思ったのに、
そうならなかった時に出てくる感情の一つです。

感情は感じる情けと書き、感じなければ無駄ではなく、
感じることで情が生まれるわけです。

感じなければムダではなく、無堕(むだ)になってしまうのです。

つまり感じる情けより、感じない無堕は、
堕落となっていってしまいます。

堕落は感じないことより始まり、
感じる情けもうらみが出た場合、堕落となってしまいます。

感じるより感じない堕落の方がましなのではなく、
堕落したことが問題なのです。

堕落した原因は、はっきり言ってうらみによるものではなく、
うらみとなった原因によるものです。

ではうらみの原因とは何でしょうか?

うらみの原因を探る前に、
もう少しうらみそのものについて伝えたいことがあります。

うらみは、人をうらんだのではなく、
神様をうらんだのでもなく、 はてまた自分をうらんだのでもありません。

うらみは、はっきりと言えば、 自分自身の魂の荒魂(あらみたま)が、
自分自身の魂の奇魂(くしみたま)と一緒になり、
自分自身の幸魂(さちみたま)と、 和魂(にぎみたま)の両方に対して、
反乱を起こしたことによって生まれてきたものです。

荒魂の行動力と奇魂の天通能力が一緒になって、
ある意味での裏切り行為を幸魂と和魂に対して行ったのです。

裏切り行為とは、裏を切ったのです。

裏を切ったとは、裏とは表の反対であり、 切るとは晴る(張る)の反対です。

したがって表の反対[表(面)を侵す]、
張る[晴れやかになる(心のわだかまりが解ける)]の反対です。

つまり表の稼業をやめ、心をわだかまらせたのです。

表の稼業は荒魂にとっては行動力、 奇魂にとっては天通能力であり、
心をわだかまらせたとは、 幸魂と和魂における縦と横の愛の両方を奪ったわけです。

本来ならば荒魂と奇魂は、 それぞれの役割を果たさなければならないのですが、
その役割を無視して、 幸魂と和魂の愛の機能を横取りしたのです。

愛の機能を横取りされた幸魂と和魂は、
その機能をうまく伸ばすことができなくなり、
本来ならば愛を完成させる予定だった人間を、 うらむようになりました。

その結果、地球がカルマだらけの星となってしまったのです。

それではなぜ荒魂と奇魂が反乱を起こしたのでしょうか。

その理由はまだ本当のことを明かせませんが、
これだけは派っきりと言うことができます。

派は元から別れたことです。

元は神様です。

神様は、ある働きにおいて全てを人間に与えました。

その全てとは愛の働きです。

愛の働きを担当するはずだった幸魂と和魂に、
神様でさえ持つことができない、 全ての愛の働きを与えたのでした。

そして人間が愛を完成させることを哀願したのでした。

神様の願いはもろくもくずれ、人間は愛を完成させるどころか、
うらみの情を増やしたりしています。

私たちはうらみの情をなくし、 魂を統合していかなければならないのです。

 

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